拙著『台湾を築いた明治の日本人』が潮書房光人新社から文庫版で刊行されました

著者:渡辺 利夫
定価:902円(税込) 272ページ
ISBN:978-4-7698-7041-8
発売年月日:2021年10月25日

なぜ日本人は台湾に心惹かれるのか──「蓬莱米」を開発した磯永吉。東洋一のダムを築いた八田與一。統治を進めた児玉源太郎、後藤新平…。国家のため台湾のため己の仕事を貫いたサムライたち!

〈文庫版のまえがき〉
 本書が上梓された頃、いくつもの書評や関連記事が各紙誌に掲載された。共通して着目してくれたのが、最終章の「英米は台湾統治をどうみたか」である。私は本書執筆の途上、偶然にも一九〇四年九月二四日付の英紙『タイムズ』、翌日の『ニューヨーク・タイムズ』の記事に出会い、一読、感窮まった。これを全訳、最終章にそのまま登載したという次第である。
 欧米諸国の植民地統治は、イギリスによるインド支配、フランスによるアルジェリア支配などにあらわれるごとく、抑圧、収奪、搾取以外の何ものでもなかった。その政治的帰結が苛烈な植民地独立闘争という積年の反逆となってあらわれ、植民地本国は最終的には大きな政治的代償を支払うことによってその支配を打ち切らざるを得なかった。台湾についていえば、スペイン、次いでオランダ、そして清国自身が支配の手をここに延ばそうとしたものの、無残な失敗に終わった。日本の台湾統治のみがそれらの先例とは対照的に鮮やかな成功を収めたのだが、どうしてそうなったのか。
 各紙誌の評者は、一世紀以上も昔の英米の新聞から立ち上る香気に満ちたこの論説に、私が初めて出会った時の感覚と同質のものを感得したのであろう。英米を代表するこの二つの新聞は、日本による台湾統治の不思議を不思議ではなく、事実に即して二万字の丹精込めた記事によって証したのである。
 日本が台湾統治を開始したのは明治二八年(一八九五)であった。生まれて間もない幼弱な近代国家が、維新後わずか四半世紀にして戦った戦争が日清戦争である。この戦争での勝利によって清国から日本に割譲された「難治の島」が台湾であった。阿片吸引と熱帯病が蔓延し、秩序と規範をまるで欠いていたこの島に、日本は本気になって「文明」を吹き込んだ。日本自身が必死の形相で「文明開花」を進めながら、台湾の文明開化を同時並行的に進めたのである。論文のタイトルは「日本人によって劇的な変化を遂げた台湾という島 他の誰もが成し得なかったことを数年で達成した驚くべき成果 他の植民地国家に対する一つの教訓」である。この論説が書かれたのは、台湾が日本統治下に入ってわずか一〇年後のことであった。
 世界の植民地経営史にその名を遺す偉業を成し遂げた明治日本、明治とは何か、明治の日本人とは何ものであったかと私が問われるならば、それは「台湾を築いた明治期日本人」の中にあるといいつづけるだろう。
 日本は少子高齢化、デフレ不況下の「失われた三〇年」、中国の台頭、新興国による追い上げに呻吟し、コロナ禍に襲われて身動きの取れない状況にある。これらを克服するための策を見出すことが容易なはずはない。しかし、思い返したいのは、現在とは比べようのないほどに脆弱な国力しかなかった明治期の日本が、帝国主義的勢力角逐の中でもちこたえ、なお台湾開発に打って出てこれに成功を収めたという事実であり、銘記したいのはその覇気の物語である。

令和三年 晩菊
渡辺利夫

潮書房光人新社サイト

「産経の本」書評

「第18回日台文化交流 青少年スカラシップ2021」の審査委員長を務めました

日本と台湾の若者による文化交流の促進を目的とした「日台文化交流 青少年スカラシップ」(主催・産経新聞社、共催・台北駐日経済文化代表処、協賛・JR東海、三井物産、台湾新聞社)が今年も開催されました。
作文とスピーチ(中国語・台湾語)の2部門で388点の応募があり、作文部門の大賞には、葉山瑶さん(早稲田大学4年)の「青緑の双眸の向こうに」が、スピーチ部門の大賞には山内佳祐さん(佐賀大学3年)の「日本と台湾の架け橋として」が選ばれました。
私は数年前から同スカラシップの審査委員長を務めており、今回も講評を寄せております。関心のある方は下記よりごらんください。

審査委員長講評

コロナ禍関連の拙稿を編んだ
月刊「世界と日本」1324号が刊行に

コロナ禍について、振り返れば、10本近くの原稿を書いてきました。
少しまとまった形で読者の目に触れればと考えていたところ、内外ニュース社から、ムック形式で出さないかというオファーがあり、全体を再編纂して月刊『世界と日本』1324号として上梓しました。
全体は次の8編から成っています。

・生命至上主義の怪しさと危うさ
・コロナ・ストレスにどう備える
・コロナはなぜ人を自殺に追い込むのか
・コロナ禍と社会的格差
 「ホームは格差の温床である」
・マスコミの中のコロナ
・なぜ不安、恐怖に貶められるのか
 -「防衛単純化の機制」
・私の死生観
 -「人間存在の背理」をみつめる
・死者の民主主義、個人主義、血脈と天皇

〈記事閲覧〉
同号はこちらからご覧いただけます。内外ニュース社のご好意によりご提供いただき、当サイトの「VOICES OF TOSHIO WATANABE」の「最新の論説」に掲載しているPDFファイルです。

〈e-Book〉
また、内外ニュース社の重ねてのご好意により、同社Webサイトからe-Bookとしてもごらんいただけます。スマートフォンやタブレットでも読みやすい仕様です。
ご関心がある方は、こちらにアクセスし、当該の表紙をクリックすればe-Bookの認証画面が開きますので、下記のパスワードで閲覧ください。

閲覧用パスワード
naigaimem

近況について

2020年の4月に『台湾を築いた明治の日本人』(産経新聞出版)を上梓しました。蓬莱米の開発者・磯永吉、烏山頭ダムの建設者・八田與一、それにインド・パンジャーブ州を飢餓から救出した「忘れられた日本人」杉山龍丸の三人を主人公とした、オムニバス形式のノンフィクション・ノベルです。台湾の開発に賭けた日本人の精神史でもあります。

『後藤新平の台湾』が中央公論新社の選書として、1月10日に発売されました。後藤新平は、初代満鉄総裁、内務大臣、外務大臣、東京市長等々と実にきらびやかな政治的人生を送った人物だとお感じの方が多いのではないでしょうか。

しかし、後藤が最も輝いていた時代は、明治31年に始まる台湾総督府民政長官として勤務した8年半余でした。台湾時代が後藤の政治的人生の「青春」です。フロンティア台湾の白いキャンバスのうえに、後藤年来の思想「生物学の原理」にもとづく、アヘン漸禁策、土匪招降策、土地制度改革、衛生事業、インフラ建設などを次々と展開していったのです。これら諸事業のための人材抜擢、抜擢された人間への後藤の信頼、信頼に応える技術者や官僚の後藤への献身、そのことをこれもノンフィクション・ノベルの形式によって描き出したものが『後藤新平の台湾』です。

二つの仕事を終えて、多少のゆとりが生まれています。私はこの60年近く、いろんな大学で、開発経済学やアジア経済論などを講じる教員・研究者としての生活を送ってまいりました。今後は公益財団法人オイスカ会長ならびに拓殖大学顧問を務めます。さまざまな形でご協力いただいた皆様方には、心から深く感謝申しあげます。本当にありがとうございました。

しかし、執筆活動はなお続けます。というより「定職」がなくなった分、一層、繁く執筆の方には力を入れたいと考えています。書き手と読み手の間に響き合う共感のさざ波(たとえそれがどんなに小さくとも)、これこそが私の求めてきたものです。

私の執筆活動状況をお伝えできればと考え、プライベートなホームページをここに開くことにしました。せっかくのホームページですので、私の略歴や著作などについても、多少、恥ずかしいのですがわずかな写真とともに掲載しておきますので、ちょっとみてやってくださればと存じます。

また、ここ1、2年の間に書いたものを本ホームページの「Voices of TOSHIO WATANABE」コーナーにていくつかのジャンル別に公開しています。

毎月、定期的に書いているコラムとしては、産経新聞の「正論」とPHPの総合誌「Voice」の巻末エッセイ「文明之虚説」の二つです。その他、ご依頼に応じて、自分でいうのもなんですが、結構な数のエッセイを書いております。今後に書くものは、随時、新しく掲載していきます。どうかこれからもお読みいただければありがたく思います。

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