TIFによる『私の論文作法』が書籍になりました

拓殖大学国際学部に在籍した教員が中心となって2015年7月に立ち上げた「拓殖国際フォーラム」(TIF)をご存じでしょうか。同組織は第三世界が抱える政治・経済・社会・文化・環境などの諸課題の解決に向けて知的社会貢献を行っていくのが活動の主眼であり、現在、私が会長を務めさせていただいております。

コロナ禍のもと通常の活動継続が困難であることから、TIFでは2021年の年末に論文の書き方に関する教訓や秘訣をTIF会員に取りまとめてもらう「私の論文作法」というプロジェクトを立ち上げました。同プロジェクトにはTIF会員から私を含む9名の有志が参加し、およそ半年をかけて完成を見た小論文を順次TIFのホームページで公開。さらにその後も書籍化への作業を続け、本年12月1日(木)に『私の論文作法』(TIF刊)として上梓いたしました。 書籍の発刊をご報告させていただくとともに、同書収録の私自身が記した序文と小論文を以下に掲載いたします。よろしければごらんください。

●はじめに introduction

●「自分史を書くことの意味ー「私の論文作法」に代えて」(渡辺利夫)

【英訳】「自分史を書くことの意味ー「私の論文作法」に代えて」(渡辺利夫)

第17回樫山純三賞 学術書賞の受賞理由について

11月8日(火)、第17回樫山純三賞が発表となりました。
同賞は公益財団法人樫山奨学財団が例年授与しているもので、同財団設立者である樫山純三氏(オンワード樫山創業者)の国際社会の情勢を的確に捉え、それらに対処できうる人材を一人でも多く育成すべきとの意志を受け継ぐために設けられ、国際的視野に立った社会有益な図書を表彰しています。
このたび受賞されたお二方、心よりおめでとうございました。
私も選考委員の一人として同賞に携わっており、今回、学術書賞に輝いた中村友香著『病いの会話 ネパールで糖尿病を共に生きる』(京都大学学術出版会)の受賞理由について一文をしたためましたので、以下に掲載させていただきます。

〈受賞理由〉
人は生まれ老い病み死んでいく。当たり前の話だが、個々の人間にとっては病むことは死が迫っていることの予兆であり、人を不安や恐怖、苦悩や絶望に追いやる。病は医師が取り組むものであり、病を癒すことが彼らの仕事である。糖尿病という慢性疾患についていえば、医師が患者を診断し、こういう薬を服用し、体調をこのように管理すべきことを説き、その指示にしたがって日常を送るというのが普通であろう。医師の指示を受け入れない者は理解能力や責任感、忍耐力のない人間とされて医療の枠の枠組みの外へ押し出されてしまう。

しかし、ネパールのいくつかの調査時点で著者が観察したものは、病の苦しみを医師に託してそのいいなりになったり、あるいは病の不安から逃れるために、これを誤魔化したり意図的に無視するというのではない。そうではなくて、〈病の不確かさを生きることを可能にしている方法として、病の会話が作り出す「共に生きる」関係性〉こそが重要性をもつというのである。この関係性は、村人たちの糖尿病についての、断片的でひそやかで、時に脈絡のない会話の中から生まれてくるらしい。会話によって「経験」を共有し、病への不安や苦労を鎮めようとしているのであろう。

共同体の中に近代的な病院などが建設され、そこに新しい診断機器や治療機器が導入されたりすると、さまざまな病気に対応してくれるようになって、それはそれで望ましいことのようにも思われるものの、病院ができたことによって共同体がばらばらになり、経験をもとに共に作り上げてきた関係性が消滅してしまうという他面がある。

本書の中で何度も言及されるのは、〈これから自分はどうなっていくのだろうかという病の不安や、苦しい、怖いという感覚と感情のもたらす闇の中を、患者たちがそれでも(なんとか)先に進んでゆけるのは、非目的的に「共に生きる」ことの持つ一つ一つの効果であったのではないか〉という語りである。医療人類学というフィールド・スタディの分野があることは、話として聞いてはいたが、豊富な参考文献をも含めて、これほどまでに精細で、しかも豊穣な物語を紡ぐことのできる分野だったのかと知らされ、初めは少し戸惑いながら、読み終えて私は賛嘆の声を上げている。

私どもはすでに3年ほどの長きにわたり新型コロナウィルスの感染症に脅かされ、「密」を作り出さないよう人間の関係性を薄める生き方を選択せざるを得なかった。人間の本質はコミュニケーションにある。コミュニケーションとは、他者との交わりを通じて相互に何かを分かち合うことである。人間は単体の人ではない。人と人との関係性の中に人間はある。人間とは「ひと-あい」であり、人付き合い、つまり交際なくして人間は存在しない。福沢諭吉がソサイエティ(society)を人間交際と訳したのはそのゆえであろう。

さまざまな機器や薬剤を整えた総合病院やクリニックが一般的になっている。ネパールでもそうらしいが、これが人間の関係性を希薄なものとする要因の一つになっているようでもある。

過剰医療という言葉がある。平成21年からの4年間にわたり夕張市立診療所に勤務した真摯なる一医師の体験的著作によれば、財政破綻により夕張市の総病床数は171床から19床になったという。この間、住民の高齢化は50%を超えて日本一となったにもかかわらず、市民の死亡率(人口100万人当たり死亡数)には変化がなかったそうだ。

コロナ禍の中で、私どもは死というものの観念をかつてないほどの密度で共有させられた。この死の観念を私どもが生きてきた時代の「医療至上主義」の上に投影してその怪しさを感得し、そうしてみずからの死生観に一つの構えを築きたい。中村友香さんのネパールでの観察記録から私はこのことへの示唆のいくつかを得ることができた。記録文学のジャンルに入れてもいいような秀作だと思う。

渡辺利夫

講演会「台湾を築いた明治の日本人」のお知らせ

10月22日(土)、山口県周南市児玉町の「周南市徳山保健センター」にて、児玉神社遷座百年奉祝行事として拙著「台湾を築いた明治の日本人」と同名の講演会を行います。
周南市出身の児玉源太郎をはじめ、後藤新平、八田與一、磯永吉などの先人の功績と覇気の物語についてお話させていただく予定です。
ご関心をお持ちの方は、ぜひご来場いただければ幸いです。

講演会チラシ

「熊台交流推進講演会」にて講演をさせていただきます。

10月2日(日)、熊本県上益城郡益城町の文化会館にて熊本県と台湾の交流を推進するための講演会が開催されます。
縁あって講師役に私をご指名いただき、「台湾と日本のかけはしとなった先人たち」と題して講演をさせていただくことになりました。
ご関心をお持ちの方、近隣にご在住の方は、よろしければ足をお運びください。

講演会チラシ

日本李登輝友の会シンポジウム
「日台関係の50年─何を失い何を得たのか」
を開催します。

台湾の中華民国と断交してから50年の節目の年であるとともに、李登輝元総統の3回忌に当たる本年、日台の相互関係の現実を正当に評価することにより日台関係を再定義するシンポジウム「日台関係の50年─何を失い何を得たのか」を開催します。
私もパネルディスカッションのパネリストとして出席いたします。
ご関心をお持ちの方は、ぜひご参加ください。

日時:2022年7月24日(日) 13時30分~16時[受付開始:13時00分]
会場:大手町サンケイプラザ 4階 大ホール
(東京都千代田区大手町1-7-2 TEL:03-3273-2258【交通】地下鉄「大手町駅」A4・E1出口直結)

基調講演「日本と台湾の経済安全保障」
高市 早苗氏(衆議院議員、自由民主党政務調査会長)

パネルディスカッション:パネリスト
櫻井 よしこ氏(ジャーナリスト、国家基本問題研究所理事長)
福島 香織氏(ジャーナリスト)
渡辺 利夫(日本李登輝友の会会長、拓殖大学顧問)
林建 良氏(日本李登輝友の会常務理事、日米台関係研究所理事)

パネルディスカッション:コーディネーター
浅野 和生氏(日本李登輝友の会常務理事、平成国際大学副学長・教授)

参加費:会員:3,000円 一般の方:5,000円 学生の方:2,000円
*参加費は前金制。7月19日(火)までに振り込みにて。

●シンポジウムの詳細・参加お申込みはこちらからどうぞ。

拙著『台湾を築いた明治の日本人』の英語版が刊行されました

Lexington Books(2022/03発売)
外貨定価 US$ 100.00

Full Description
The Meji Japanese Who Made Modern Taiwan describes the story of Japan’s involvement and administration of Taiwan in the pre-war era, with a focus on the period from 1895, when Taiwan was made a part of the Japanese Empire, to 1945, when the Pacific War ended. It introduces the policies pursued and equally important, the personalities, philosophies, and ambitions of the administrators, engineers, and technicians behind those policies. In particular, the unique thinking, leadership styles, and contributions of Kodama Gentaro, Goto Shinpei, Hatta Yoichi, Iso Eikichi, and Sugiyama Tatsumaru, among others who contributed to the development of modern Taiwan, are introduced in great detail. Their accomplishments remain with Taiwan today, which helps explain the extremely close relationship between Taiwan (officially known as the Republic of China) and Japan maintain today.

種田山頭火生誕140年記念
創作音楽劇『きょうも隣に山頭火』にて
講演をさせていただきます

4月9日(土)と10日(日)、銀座八丁目・博品館劇場にて熊本発の創作音楽劇『きょうも隣に山頭火』が上演されます。名優・浜畑賢吉氏が主演と監修を務める意欲作です。
私は種田山頭火について『放哉と山頭火-死を生きる』『種田山頭火の死生 ほろほろほろびゆく』といった著作を発表させていただいたご縁から、4月10日(日)の正午12:00より、上演に先駆けて『なぜ、山頭火』と題した講演をさせていただくことになりました。
ご関心をお持ちの方は、よろしければチケットをご購入の上、ご来場ください。

博品館劇場HP告知ページ

公演チラシ(PDF)

「第38回土光杯全日本青年弁論大会」の審査委員長を務めました

1月8日(土)、「第38回土光杯全日本青年弁論大会」(主催:フジサンケイグループ/協力:岡山商工会議所)がオンライン形式で開催されました。
同大会は行政改革に大きな足跡を残した、故・土光敏夫臨時行政調査会長の“行革の実行には若い力が必要”との呼びかけに応じて、フジサンケイグループが1985年に創設。その後、テーマが拡大され、日本の次代を担う若者の主張の場として毎年開催されています。
今回のテーマは「国難を乗り越えるために」。論文選考を勝ち抜いた10名の弁士が熱弁をふるい、最優秀賞の土光杯は「失われた『機会』を取り戻そう」の演題を掲げた東京大学の松下天風さんが獲得し、2度目の栄冠に。また、土光敏夫氏の出身地、岡山県にちなんだ特別賞岡山賞には「水産業の構造改革をしたい」を掲げた松下政経塾の松田彩さんが輝きました。お二人をはじめとする受賞者の皆さん、誠におめでとうございます。
私は審査委員長を務めさせていただき、講評を寄せております。下記よりごらんください。

審査委員長講評(概要/産経新聞より)

審査委員長講評(詳細/「正論」3月号より)

また、1月10日(月)の産経新聞「産経抄」でも同大会の様子が報じられておりますので、関心のある方は下記よりごらんください。

産経抄

拙著『台湾を築いた明治の日本人』が潮書房光人新社から文庫版で刊行されました

著者:渡辺 利夫
定価:902円(税込) 272ページ
ISBN:978-4-7698-7041-8
発売年月日:2021年10月25日

なぜ日本人は台湾に心惹かれるのか──「蓬莱米」を開発した磯永吉。東洋一のダムを築いた八田與一。統治を進めた児玉源太郎、後藤新平…。国家のため台湾のため己の仕事を貫いたサムライたち!

〈文庫版のまえがき〉
 本書が上梓された頃、いくつもの書評や関連記事が各紙誌に掲載された。共通して着目してくれたのが、最終章の「英米は台湾統治をどうみたか」である。私は本書執筆の途上、偶然にも一九〇四年九月二四日付の英紙『タイムズ』、翌日の『ニューヨーク・タイムズ』の記事に出会い、一読、感窮まった。これを全訳、最終章にそのまま登載したという次第である。
 欧米諸国の植民地統治は、イギリスによるインド支配、フランスによるアルジェリア支配などにあらわれるごとく、抑圧、収奪、搾取以外の何ものでもなかった。その政治的帰結が苛烈な植民地独立闘争という積年の反逆となってあらわれ、植民地本国は最終的には大きな政治的代償を支払うことによってその支配を打ち切らざるを得なかった。台湾についていえば、スペイン、次いでオランダ、そして清国自身が支配の手をここに延ばそうとしたものの、無残な失敗に終わった。日本の台湾統治のみがそれらの先例とは対照的に鮮やかな成功を収めたのだが、どうしてそうなったのか。
 各紙誌の評者は、一世紀以上も昔の英米の新聞から立ち上る香気に満ちたこの論説に、私が初めて出会った時の感覚と同質のものを感得したのであろう。英米を代表するこの二つの新聞は、日本による台湾統治の不思議を不思議ではなく、事実に即して二万字の丹精込めた記事によって証したのである。
 日本が台湾統治を開始したのは明治二八年(一八九五)であった。生まれて間もない幼弱な近代国家が、維新後わずか四半世紀にして戦った戦争が日清戦争である。この戦争での勝利によって清国から日本に割譲された「難治の島」が台湾であった。阿片吸引と熱帯病が蔓延し、秩序と規範をまるで欠いていたこの島に、日本は本気になって「文明」を吹き込んだ。日本自身が必死の形相で「文明開花」を進めながら、台湾の文明開化を同時並行的に進めたのである。論文のタイトルは「日本人によって劇的な変化を遂げた台湾という島 他の誰もが成し得なかったことを数年で達成した驚くべき成果 他の植民地国家に対する一つの教訓」である。この論説が書かれたのは、台湾が日本統治下に入ってわずか一〇年後のことであった。
 世界の植民地経営史にその名を遺す偉業を成し遂げた明治日本、明治とは何か、明治の日本人とは何ものであったかと私が問われるならば、それは「台湾を築いた明治期日本人」の中にあるといいつづけるだろう。
 日本は少子高齢化、デフレ不況下の「失われた三〇年」、中国の台頭、新興国による追い上げに呻吟し、コロナ禍に襲われて身動きの取れない状況にある。これらを克服するための策を見出すことが容易なはずはない。しかし、思い返したいのは、現在とは比べようのないほどに脆弱な国力しかなかった明治期の日本が、帝国主義的勢力角逐の中でもちこたえ、なお台湾開発に打って出てこれに成功を収めたという事実であり、銘記したいのはその覇気の物語である。

令和三年 晩菊
渡辺利夫

潮書房光人新社サイト

「産経の本」書評

「第18回日台文化交流 青少年スカラシップ2021」の審査委員長を務めました

日本と台湾の若者による文化交流の促進を目的とした「日台文化交流 青少年スカラシップ」(主催・産経新聞社、共催・台北駐日経済文化代表処、協賛・JR東海、三井物産、台湾新聞社)が今年も開催されました。
作文とスピーチ(中国語・台湾語)の2部門で388点の応募があり、作文部門の大賞には、葉山瑶さん(早稲田大学4年)の「青緑の双眸の向こうに」が、スピーチ部門の大賞には山内佳祐さん(佐賀大学3年)の「日本と台湾の架け橋として」が選ばれました。
私は数年前から同スカラシップの審査委員長を務めており、今回も講評を寄せております。関心のある方は下記よりごらんください。

審査委員長講評