主要な著書

私の研究分野は、アジア各国をフィールドにした経済開発論、いわゆる「開発経済学」(Development Economics)です。2000年にいたる頃までの私の著作はこの分野に集中していました。博士論文は、

『開発経済学研究―輸出と国民経済形成』(東洋経済新報社、1978年)

です。輸出と発展との関係を理論的に追い、これを各国のケースによって実証した研究です。

 輸出と発展という分野を語る場合、韓国は実に面白い対象でした。私はこの国の発展の姿を「輸出志向型開発モデル」と呼んでこれを追いかけました。その代表作が、

『現代韓国経済分析―開発経済学と現代アジア』(勁草書房、1982年)

です。

 韓国が中心でしたが、ここにいたる10年くらい、私は足繁くアジアのフィールドを地を這うように歩き、私なりの実証研究を積み重ねておりました。そのいわば集大成が、

『成長のアジア 停滞のアジア』(東洋経済新報社、1985年、講談社学術文庫2002年)

です。幸いなことにこの著作には、吉野作造賞という社会科学分野の権威ある賞が授けられました。

 これと同時期に、それまでに築いてきた開発経済学を体系的にまとめた書籍を出版し、これを大学や大学院での授業のテキストともしたいと考え、一書を世に問いました。

『開発経済学―経済学と現代アジア』(日本評論社、1986年)

です。大平正芳記念賞という名誉ある賞を授けられて幸せでした。

 経済発展のダイナミズムが太平洋の東(欧米)から西(アジア)へと押し寄せるつつあるという文明論的な感覚をもって、

『西太平洋の時代―アジア新産業国家の政治経済学』(文藝春秋、1989年)

という本を上梓しました。この本、いつになく調子よく書きあげることができました。毎日新聞アジア調査会からアジア太平洋賞大賞をいただきました。

 改革・開放の中国が大きな話題となり、鄧小平の時代がやってきました。「社会主義市場経済」というのはいったい何ものか、渡辺さん解き明かしてみないかと誘われて、中国の専門家でもないのに、

『社会主義市場経済の中国』(講談社現代新書、1994年)

を書いたこともあります。

 このあたりで私の学問的研究の著作は大体が終わり、執筆の分野は経済学から歴史や人間の心の問題へと移っていきました。年齢のせいもあってのことだと思います。

 ちょうどその頃、東京工業大学を定年退職することになり、拓殖大学でもうひとつの人生を送ることになったのですが、このことを契機にそれまでの自分を振り返るいわば「自分史」を仕立ててみました。東京工業大学の最終講義で、生まれて初めて人さまの前で自分の人生について語ったのです。この講義を聴きにきてくれていたPHPのVoiceの編集長のアイデアで、この最終講義が雑誌論文になり、雑誌論文が中央公論社の平林孝さん(故人)の目にとまって出版されるという経緯がありました。

『私のなかのアジア』(中央公論新社、2004年)

です。

 東京工業大学の定年が近づいた頃、私は自分でも解しがたい強迫観念に襲われ、半年ほど身動きもできないような苦しみに襲われました。これを癒してくれたものが森田療法です。森田療法とは森田正馬(まさたけ)の創案になる日本独自の精神療法です。この機会に「人間の心とは何か」を森田正馬の教えにしたがって描いてみることにしました。

『神経症の時代―わが内なる森田正馬』
(TBSブリタニカ、1996年、文藝春秋文春学藝ライブラリー、2016年)

がそれです。望外のことでしたが、この著作、私が生涯で著した本の中で唯一ベストセラーになりました。そのうえ、開高健賞・正賞という文学賞を授かるという光栄をも味わわせてもらいました。もともとはTBSブリタニカから出版された本ですが、現在では文春文庫の中に収められています。

 人間の死生について考えねばならない年齢になっています。

『放哉と山頭火―死を生きる』(ちくま文庫、2016年)

は、二人の俳人の姿を借りての私の死生観を語ったものです。

 もう一つ、福澤諭吉という人物については若い時から書いてみたいという強い願望が私の中には長くあったのですが、数年前、思いを定めて一年間これにかかり切りになったことがあります。 

『士魂―福澤諭吉の真実』(海竜社、2018年)

です。正統的な福澤解釈と私の解釈とはずいぶんと異なるものになっています。

 以上です。お付き合いくださいましてほんとうにありがとうございました。