近況について
2020年の4月に『台湾を築いた明治の日本人』(産経新聞出版)を上梓しました。蓬莱米の開発者・磯永吉、烏山頭ダムの建設者・八田與一、それにインド・パンジャーブ州を飢餓から救出した「忘れられた日本人」杉山龍丸の三人を主人公とした、オムニバス形式のノンフィクション・ノベルです。台湾の開発に賭けた日本人の精神史でもあります。
『後藤新平の台湾』が中央公論新社の選書として、1月10日に発売されました。後藤新平は、初代満鉄総裁、内務大臣、外務大臣、東京市長等々と実にきらびやかな政治的人生を送った人物だとお感じの方が多いのではないでしょうか。
しかし、後藤が最も輝いていた時代は、明治31年に始まる台湾総督府民政長官として勤務した8年半余でした。台湾時代が後藤の政治的人生の「青春」です。フロンティア台湾の白いキャンバスのうえに、後藤年来の思想「生物学の原理」にもとづく、アヘン漸禁策、土匪招降策、土地制度改革、衛生事業、インフラ建設などを次々と展開していったのです。これら諸事業のための人材抜擢、抜擢された人間への後藤の信頼、信頼に応える技術者や官僚の後藤への献身、そのことをこれもノンフィクション・ノベルの形式によって描き出したものが『後藤新平の台湾』です。
二つの仕事を終えて、多少のゆとりが生まれています。私はこの60年近く、いろんな大学で、開発経済学やアジア経済論などを講じる教員・研究者としての生活を送ってまいりました。今後は公益財団法人オイスカ会長ならびに拓殖大学顧問を務めます。さまざまな形でご協力いただいた皆様方には、心から深く感謝申しあげます。本当にありがとうございました。
しかし、執筆活動はなお続けます。というより「定職」がなくなった分、一層、繁く執筆の方には力を入れたいと考えています。書き手と読み手の間に響き合う共感のさざ波(たとえそれがどんなに小さくとも)、これこそが私の求めてきたものです。
私の執筆活動状況をお伝えできればと考え、プライベートなホームページをここに開くことにしました。せっかくのホームページですので、私の略歴や著作などについても、多少、恥ずかしいのですがわずかな写真とともに掲載しておきますので、ちょっとみてやってくださればと存じます。
また、ここ1、2年の間に書いたものを本ホームページの「Voices of TOSHIO WATANABE」コーナーにていくつかのジャンル別に公開しています。
毎月、定期的に書いているコラムとしては、産経新聞の「正論」とPHPの総合誌「Voice」の巻末エッセイ「文明之虚説」の二つです。その他、ご依頼に応じて、自分でいうのもなんですが、結構な数のエッセイを書いております。今後に書くものは、随時、新しく掲載していきます。どうかこれからもお読みいただければありがたく思います。